図版1 バレエ『妖精の湖』で永遠の命のスカーフを身にまとうファニー・チェリート
☆妖艶なる美魔女ファニー・チェリート☆
ボンジョルノ!ファニー・チェリートです。ちょっとエアリーな感じで登場してみました。私の一般的なイメージは、「情熱的で色っぽい」とか「活気に満ちた」という感じらしいので、タリオーニお姉さまには及びませんが、少し違った雰囲気をお見せしたいと思いました(図版1)。
私は、カルロッタ・グリジのライバルとして登場することが多いと思います。グリジを気に入っていた作家のゴーチエには、私はあまり好かれていなかったようです。それでも、1840年代後半からパリ・オペラ座で踊っていた頃には、ゴーチエが台本を書いて、私が振り付けをして一緒に作品を作ったりしました。このことは、またあとでお話します。
私とグリジのエピソードとして一番有名な話は、第1回でタリオーニお姉さまが紹介したことを覚えていらっしゃるでしょうか。1845年に、ロンドンのハー・マジェスティーズ劇場の支配人ベンジャミン・ラムリーが、人気バレリーナの競演として企画した『パ・ド・カトル』でのエピソードです。タリオーニお姉さま、カルロッタ・グリジ、ルシール・グラーンと私の四人でソロを踊る順番を決めた時に、私とグリジが大喧嘩をしたことです。
このエピソードだけみると、プライドの高い人気バレリーナ同士の感情的なぶつかり合いのような印象があるかもしれませんが、実は私とグリジのライバル関係は、この時始まったわけではありませんでした。
どうやら喧嘩を仕掛けたのは私のようなのですが、このグリジとのいざこざだけが印象に残るのは悲しいので、私の生い立ちとバレリーナとしての歩みについてお話いたします。
☆パワースポット、ナポリ☆
私は1817年5月11日にナポリで生まれました。生粋のナポリっ子です。グリジと同じように親の勧めで早い時期から踊りを始め、サン・カルロ劇場の付属バレエ学校で学び、1832年に卒業しました。最初はあまり踊りの才能を感じさせなかったようですが、成長とともに上達し、1832年にナポリのレージョ劇場でデビューを飾りました。
「ナポリのサン・カルロ劇場」と聞いて、何か思い出しましたか。そう、ここはカルロッタ・グリジとジュール・ペローの運命的な出会いの場所ですが、私とグリジにとっても因縁の地だったのです。
1835年にサン・カルロ劇場で、あるバレエが初演されました。『アモールとプシケー』というギリシャ神話を題材にしたバレエでした。振付は、サルヴァトーレ・タリオーニという人で、私が通ったバレエ学校の創立者でもありました。
「え、タリオーニ?」と思った方もいるでしょうか。このサルヴァトーレは、マリー・タリオーニ(タリオーニお姉さま)の叔父さんで、マリーの父フィリッポの弟です。フィリッポとサルヴァトーレの父親もダンサーで、タリオーニ家も芸能一家でした。
そのサルヴァトーレが振り付けた『アモールとプシケー』の舞台でグリジがタイトルロールのアモール(キューピッド)役、私はアイリス(虹の女神)役で共演していたことが、この時の台本に残されています。
この頃私は18歳で、グリジは16歳。一緒に踊っていてもお互いに意識してはいませんでしたが、思い返すとすでに私達のライバル関係は、この時に始まっていたのかもしれません。グリジはこの年にナポリでペローと出会っているのに、私はペローが着く頃には別の街で仕事をしていて出会いませんでした。
しかし、私達二人のバレリーナ人生にとって、ジュール・ペローが重要な存在となることはその後の三人の活躍を見ればわかります。
ナポリという街は、パワースポットなのでしょうか。この地で出会ったグリジとペローは、私より先にロンドンやパリでの活動を始め、脚光を浴びるようになります。私は、ナポリの他にミラノ、ウィーンなどで踊り、一足遅れてロンドンに導かれてゆきます。
図版2 『ラ・リチュアナ』を踊るチェリート
☆ロンドンでの大勝利☆
私のナポリやイタリア各地での活躍ぶりは、ジュール・ペローやリュシアン・プティパの時と同じように、すでに他の国にも広く伝わっていました。
ちょうどロンドンでは、マリー・タリオーニ、ファニー・エルスラーに次ぐバレリーナの存在が待たれていました。グリジは、ロンドンでも活動しましたが、すでにオペラ座のバレリーナとして契約が成立するかしないか、というところでした。そんな状況の中で、1840年、私ファニー・チェリートがロンドンの観衆に迎えられることとなったのです。
図版2を見てください。ポーランド風の衣装でマズルカを踊る私の姿で、ロンドン・デビューの時のものです。この頃のヨーロッパの人たちは、自分たちとは違う文化や価値観を持つ国に憧れを抱いていたこともあり、民族舞踊が大流行でした。
スペインや東欧の民族舞踊をバレエの舞台に取り入れたものが、特に大衆の人気を集め、ジュール・ペローやファニー・エルスラーなども積極的に民族舞踊の要素を作品に取り入れて、作品に豊かな味わいを加えていました。
図版1で紹介した『妖精の湖』もロンドン・デビューの踊りの一つです。私のロンドン・デビューには、ヴィクトリア女王も臨席されて非常に話題になりました。
作品のモチーフは、『ラ・シルフィード』やこの頃流行のバレエに共通するありきたりなものだったのですが、私の軽やかで細やかな足さばきがロンドンっ子の心をとりこにしたようです。
私の芸風は、ゆったりとしたアダージオから軽快なアレグロまでさまざまな技術を身につけていたので幅広い作品を表現できたのでした。「チェリートマニア」と呼ばれる狂信的なファンもいて、そのような支持者とジュール・ペローという振付家の才能のお陰で、私はロンドンでバレリーナとしての名声を獲得したのです。
図版3 ペロー振付『アルマ、もしくは火の娘』の「魅惑の踊り」を踊るチェリート
☆魔術師ジュール・ペロー☆
私とグリジのもう一つの共通点は、ペローによって本物のバレリーナに仕上げられたことと言えるでしょう。私は1837年にウィーンで数ヶ月間ペローの指導を受け、その指導によって私の踊り技術は驚くほど進歩したのでした。
1842年、ペローはパリ・オペラ座での振付家としての契約は諦め、ロンドンを拠点にすることを決めます。この年にグリジはロンドンで初めて『ジゼル』を踊りました。そして、同じシーズンにペローは私のために『アルマ、もしくは火の娘』というバレエを作りました。このプログラミングも、劇場支配人ラムリーが、「チェリートとグリジの因縁の対決」として企んだこととも考えられます。
『アルマ、もしくは火の娘』では、私も振付を提案してペローと共に作品を作り上げました。私は、どちらかというとドラマティックに演じるのが苦手だったのですが、ペローの踊りの構成によって、見事に踊りで物語を伝えることに成功したのでした。特に、主人公のアルマが踊った「魅惑の踊り」は、静かに踊りはじめ、だんだんと激しくなって男性を誘惑してゆく踊りで、私の代表作の一つとなりました。
そして、もう一つペローが私のために振り付けた作品で忘れてはならないのが、『オンディーヌ、もしくは水の精』です。これは、皆さんの時代でも英国のバレエ文化の中に受け継がれているものの一つでしょう。この『オンディーヌ』によって、ジュール・ペローはロンドンで振付家としての地位を確実にし、私の魅力を十二分に発揮してくれました。
図版4 『オンディーヌ』の第一幕で貝殻に乗って登場するチェリート
図版4をご覧ください。このシーンは、見ての通り「貝殻」と名付けられたシーンで、私が最初に登場した姿です。この時の登場の仕方が波の中から貝殻が浮かび上がるように出てくる演出で、当時の道具方の優れた技術が駆使されていたようです。
そして、私がこの作品で踊った「パ・ド・ロンブル(影の踊り)」は、『アルマ』の「魅惑の踊り」と並んでロンドンの観衆を魅了したのです。この踊りは人間の姿になった水の精オンディーヌが自分の影と踊るシーンで、第5回の図版4で紹介されていますので、そちらも見てくださいね。
こうしてペローと私は、ハー・マジェスティーズ劇場を活動拠点として、数々の名作を世に送り出したのです。ペローは1843年に主任振付家兼舞踊手として契約し、振付家としての黄金時代を迎えます。
私は仕事上の最高のパートナーであるジュール・ペロー、そして、一緒に踊るパートナーであり、人生を共に歩むことになるアルチュール・サン=レオンと巡り会い、バレリーナとしての最盛期をロンドンで過ごします。
そして、いよいよ新たなチャレンジの地パリ・オペラ座が私を待っています。それでは、次回もお目にかかりましょう!
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図版1:バレエ『妖精の湖』で妖精を演じるチェリート
出版年:1840年7月15日
作者:A de Valentini(artist)
John Samuelson Templeton(Lithographer)
所蔵:ヴィクトリア&アルバート博物館 ロンドン
図版2:『ラ・リチュアナ』を演じるチェリート
作者:Jules Bouvier
出版年:1840年
所蔵:ヴィクトリア&アルバート博物館 ロンドン
図版3:バレエ『アルマ、もしくは火の娘』の「魅惑の踊り」を踊るチェリート
作者:Jules Bouvier
出版年:1842年
所蔵:ヴィクトリア&アルバート博物館 ロンドン
図版4:バレエ『オンディーヌ、もしくは水の精』のチェリートの登場シーン
作者:Numa Blanc Fils(artist)
C.Graf (Lithographer)
出版年:1843年7月15日
所蔵:ヴィクトリア&アルバート博物館 ロンドン
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