2014年03月19日

第2回

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図版1:『ジターナ(ジプシー女)』を踊るマリー・タリオーニ

☆舞台のマジック☆
 こんにちは!お色直しをして、再登場のマリー・タリオーニです。
 ちょっとイメージチェンジ・・・と言いますか、私に対する固定観念を変えていただきたくて、ジプシーの女性(注釈1)に扮した姿を披露いたしました。
 私はいつでも透明人間みたいに描かれていて、その印象が強いですが、情熱的な人間の女性の役も演じていたのです。
 ライバルだったエルスラーについても、私は「キリスト教の踊り子」、エルスラーは「異教の踊り子」というテオフィル・ゴーチエ(この人は、どちらかと言うとエルスラーの方がお好みだった)の表現によって、対照的なイメージが作られたように感じます。でも、エルスラーは、1838年私がパリを留守にしている間に『ラ・シルフィード』を踊り、ゴーチエの賞賛を得ていますし、ルシール・グラーンもデンマーク出身のオーギュスト・ブルノンヴィルの振付による『ラ・シルフィード』で、シルフィードを演じています。
 とはいえ、私タリオーニが、バレリーナとしての不動の地位を確立したのが、空気の精シルフィードであり亡霊などの非人間的な存在であったことは、間違いありません。そして、その幻想的な存在をより効果的に演出する技術が、この時代に発達したのです。それは、ポワント(つま先立ち)で踊る技術であり、ガス灯による照明でした。

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図版2:『ラ・シルフィード』を踊るエルスラー

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図版3:トーシューズ二種類

☆宙吊りからポワントへ☆
 「バレエと言えばトーシューズ」というイメージの誕生も、私の時代でしょう。少し前の時代から、「飛ぶ演出」としてワイヤーによる宙吊りがありました。これは、ロマンティック・バレエの時代にも用いられましたが、かなり危険なものでした。
 私の『ラ・シルフィード』の公演の時に、二人のシルフィードが宙吊り状態で、降りて来られなくなるというアクシデントがあったのです。道具方がすぐに対応して大事には至りませんでしたが、私は、舞台上から「皆様、誰にも怪我はありません」と、驚いたお客様たちにお伝えしたのです。
 ワイヤー吊りの演出が下火になってゆく過程で、ポワントの技法が発展したことには、関係があるかもしれません。
 では、いつ頃からバレリーナはポワントで踊ったのでしょうか。私以前にもつま先立ちで踊ったバレリーナは何人もいたのですが、彼女たちはつま先で立ってはいましたが、踊るという感じではなかったようです。
 「つま先立ちで、長時間美しく踊る」ための身体を整えたのは、私のイタリア人の父フィリッポです。私は、父の一日6時間にも及ぶ厳しい指導によって、「空気のように舞う」ことのできるバレリーナに仕上がったのです。いつの時代も、美のための道は容易ではありません。
 では、私が履いていたトーシューズは、どのようなものだったでしょうか。皆さんの時代ですと発表会用のサテンのバレエシューズに似ています。つま先を糊で固めて、立ちやすく作られてはいませんでした。当時のバレリーナたちは、つま先に厚紙のようなものを詰めたり、中にはお肉を詰めた人もいたようです。
 写真を見てもらいましょう。左側が、私の生徒だったエンマ・リヴリのシューズです。1860年くらいのもので、私が履いていたものとほぼ同じです。
 そして、右側のものがアンナ・パヴロワのもので、おそらく1914年くらいに、イタリア人の靴職人ロメオ・ニコリーニが作ったものです。つま先の加工が今のもののように固くなって、靴自体が「つま先で立って踊る技術」に大いに貢献しましたし、音も静かだったと言われています。この靴のおかげで、アンナ・パヴロワは、自分の足の弱さを克服し、より洗練された豊かな表現の世界を広げたのです。
 この2つのトーシューズを比べてみて、何に気づくでしょうか。私が活躍した時代のトーシューズでは、グラン・フェッテは回れません。はじめてグラン・フェッテを32回転まわったのは、イタリア人のバレリーナ、ピエリーナ・レニャーニです。1895年に有名な『白鳥の湖』で成功したと言われています。ですので、つま先が高度な回転技にも耐えられるようになったのも、1890年前後のことと想像できるでしょう。
 道具の進歩と舞踊技術の進歩には、密接な関係があります。衣装も、軽くて薄い生地が使われるようになり、スカートの長さもつま先の動きが見やすいように、短くなっていったのです。

☆ランプからガス灯へ☆
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図版4:尼僧のバレエ

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図版5:マリー・タリオーニ振付の『蝶々』を演じるエンマ・リヴリ

 舞台装置もずいぶんと変化しました。まず、この時代に幕が使われるようになり、幕間の場面転換も可能になったのです。
 そして、一番大きな出来事は、照明がロウソクとランプからガス灯に変わったことです。皆さんの世界では、電気照明が当たり前ですよね。私達の時代には、まだ電気照明は一般的ではありませんでした。
 ガス灯の登場(オペラ座では1822年)によって、月明かりのような青白い夜の光景を作り出すことができたのです。私がパリ・オペラ座で1831年に出演した、『悪魔のロベール』というオペラの「尼僧のバレエ」のシーンをご覧ください。尼僧院のお墓で、夜になると亡霊たちが踊り出すという、少し後の『ジゼル』第二幕にも通じるシーンです。この光景を目の当たりにした観客は、さぞかしその幻想的な世界に驚いたことでしょう。
 しかしながら、技術の進歩には、犠牲がつきものでした。お話するのが、とてもつらいのですが、私の愛弟子だったエンマ・リヴリは、ガス灯の火が衣装に燃え移り、亡くなりました。私は、エンマを後継者として育て、彼女のために『蝶々』という作品を振り付けたほど大切な存在でした。
 劇場での火災は時々起きていたので、衣装に防火処理をする条例が出されていました。しかし、その処理をすると衣装が変色し重くなるので、バレリーナたちは、あまり受け入れませんでした。
 少ししんみりとしてしまいましたが、ロマンティック・バレエの繁栄と言われた時代、ヨーロッパは、それほど安定していませんでした。フランスでは、1830年と1848年にも革命があり、1870年にはプロシアとの普仏戦争もありました。この頃建設中だった、皆さんにお馴染みの豪華なオペラ座(ガルニエ宮)は、戦争中は軍の食料貯蔵庫として使用され、建設も一時中断していました。
 それでも、人間は、どんな時代でも、美しいものを求め、新しい発明をし、前に向かって芸術や文化を育んできたのです。
 次回は、案内役を『ジゼル』を初演したカルロッタ・グリジに託して、彼女が主演した数々の名作と当時の振付家たちのお話などをお伝えしたいと思います。

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【豆知識】2つの『ラ・シルフィード』
 今回のお話の中で、デンマーク出身の振付家オーギュスト・ブルノンヴィルによる『ラ・シルフィード』が出てきました。ロマンティック・バレエの時代には、現在も上演されている2つの『ラ・シルフィード』が作られました。
 一つは、マリー・タリオーニが主演したもので、マリーの父フィリッポ・タリオーニの振付、音楽がシュネゾフェールで、1832年にパリ・オペラ座で初演されたもの。
 もう一つは、デンマークの振付家オーギュスト・ブルノンヴィルが振付し、音楽をレーヴェンスキョルが作曲し、主役をルシール・グラーンが演じ、1836年にコペンハーゲンの王立劇場で初演されました。
 オーギュストは、パリ・オペラ座に1826年から28年まで在籍し、マリー・タリオーニのパートナーを務めていました。そして、1834年にパリでマリーの演じる『ラ・シルフィード』に感銘を受け、自国でも上演しようと振り付けたのです。ブルノンヴィルは、自分で演じたジェームズ役を技術的に発展させ、バレエ作品における男性の見せ場を充実させました。
 また、よく混同されるのが、20世紀に入ってからミハイル・フォーキンが振り付けた、一幕もののバレエ『レ・シルフィード(フランス語で、「シルフィードたち」の意味)』です。何が違うかといいますと、『ラ・シルフィード(ある特定のシルフィードの意味)』には、明確な物語がありますが、『レ・シルフィード』には、特に具体的な物語はなく、主役のシルフィードと詩人を中心に、群舞のシルフィードたちによって、音楽を動きで表現する作品になっています。

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【注釈1】「ジプシー」の表記について
 最近では、「ジプシー」の表記は、偏見、差別的に使用される場合があることを理由に、「ロマ族」等と表記されるようになっていますが、このタリオーニが出演した“La Gitana”という原語を尊重し、そのままの表記、表現を使わせていただきます。

図版1:『ジターナ(ジプシー女)』を踊るマリー・タリオーニ 
作者:Jules Bouvier
製作年:1840年ころ
所蔵:ヴィクトリア&アルバート博物館 ロンドン

図版2:『ラ・シルフィード』を踊るファニー・エルスラー
作者:Eliphalet M Brown , George W Lewis, Joseph Fairfield Atwil
出版:1842年か1843年 N.Y.

図版3:2つのトーシューズ
<左側>エンマ・リヴリの1860年ころのもの
所蔵:オペラ座付属図書館   
<右側>アンナ・パヴロワの1914年ころのもの

図版4:「尼僧のバレエ」のシーン
マイアベーアのオペラ『悪魔のロベール』より
1831年パリ・オペラ座初演
作者、版画家不詳
所蔵:オペラ座付属図書館

図版5:マリー・タリオーニ振付の『蝶々』を演じるエンマ・リヴリ
作者:Jacotin
制作年:1860年
所蔵:フランス国立図書館


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